蔵王温泉の由来とスキー場の歴史

蔵王連峰は、宮城県と山形県にまたがる火山で、山頂付近にある『御釜』が有名です。

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写真は、南側から取った写真ですが、右側に壁のように立っているのが五色岳です。

五色岳は約3万年前以降の活動で生じたカルデラ火砕丘で、火口湖に水がたまり御釜(おかま)として親しまれています。

活火山の蔵王の噴火は、御釜の内外で発生し火山泥流を伴うことが多いのです。


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蔵王温泉は、お釜から北西方向に6kmほど下った山形県側にあります。
冬は、スキーのベースキャンプとして、春は新緑のトレッキング、夏は登山、秋は紅葉と一年中見頃があり、年間を通して湯治場としての人気もあります。

蔵王温泉の由来は次のように伝えられています。

蔵王温泉1900年の由来時は西暦110年まで遡ります。天皇の命を受けた日本武尊(やまとたける)が蝦夷討伐に来た際、家臣の吉備多賀由(きびのたがゆ)は戦いの最中、毒矢に当たり全身がただれ大変苦しんでいました。快復がみられない多賀由は、陸奥国での療養を決意し尊に都へ帰路に立つように進言したのです。日に日に傷が悪化する多賀由でしたが、山裾に点在する桜の花に目がとまり、家臣に一枝折ってくるように命じ、家臣たちは山々に分け入り二つ三つの枝を折り下山しましたが、途中で道に迷ってしまいました。2014-10-19_takayu
ふと見ると、南麓の谷間から一筋の白いものが見え、かまどの煙だろうかと近づいてみても人家はなく、こんこんと泉が湧いて一筋の川を成しているのでした。霊妙な香りがする泉は指をつけてみると湯浴みが出来るほどに暖かく、舐めてみると酢のような味がします。この不思議な温泉が主人にも効き目があるのではないかと思った家臣たちは、多賀由にことの次第を細かに伝えました。

天いまだ吾を見捨てず-

これは、日ごろ崇めている大国主神・少彦名神のおかげと感激した多賀由は、病身を担がせて赴き、湯浴みをしたところ、なんと数日で劇的に快復したのです。

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神の恵みに感謝し桜の枝を折った山の山頂に祠を建て、大国主神・少彦名神を祀り霊妙の泉に因み『酢川温泉の神』と呼び、その山を霊山と名付け、後に瀧山と呼ばれるようになりました。

不思議な温泉の効き目と神の恵みが知れ渡るにつれ、吉備一族の誉れ高き武将「多賀由」の名にあやかり「多賀由温泉」と呼ぶようになり、転じて何時しか「高湯温泉」と名前を変え永年に渡り親しまれて来ました。


蔵王温泉紹介

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蔵王(最上高湯)温泉は、強酸性の硫黄泉で肌と血を若返らせるといわれており、美肌効果もあることから

「美人の湯」
「子供が丈夫に育つ湯」
として多くの人々から親しまれています。

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蔵王温泉は、標高約800メートルに位置する温泉地で、上の説明にあるように
1900年の歴史がある日本でも大変に古い温泉場です。

昔は高湯温泉と呼ばれ、
・信夫高湯(福島県福島市の高湯)
・白布高湯(山形県米沢市の白布温泉)
と共に奥州三高湯として親しまれて来ました。

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歴史が古い蔵王温泉には、近代的な巨大アミューズメント的な娯楽ホテルはありません。
多くの旅館は、親の代から受け継いできた家庭的な旅館群で、街の佇まいも落ち着いています。

五つの温泉群と47の源泉を持つ源泉掛け流しのスタイルで、
温泉街には3つの共同浴場(上湯、川原湯、下湯)があります。

(大人200円と格安です)

源泉掛け流しなので、お湯の温度はその日の状況によって変化することもあり、
「お湯が熱くて入れないよ」
なんてこともたまにありますが、これも楽しみのうちです。

この他に足湯の設備もあり、日帰りで気軽に利用できます。


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江戸時代の蔵王

江戸時代には、堀田村と呼ばれ、蔵王権現への西側の登山口として行者の宿坊として、
また、不思議な効果がある温泉の湯治場として発達しました。

月山の『お西様』に対して、蔵王を『お東様』と呼び、

白装束に身を固めた行者は、参詣する一週間前より水を被って身体を清め、女人を慎み、肴類も断って参拝したそうです。

IMG_1329〔羽州村山郡最上高湯温泉の図(弘化2年)〕


明治・大正時代の蔵王

明治時代に入り廃仏毀釈令が出されると蔵王から行者の姿は急激に減り、静かな山中の温泉場となりました。

明治から大正にかけて高湯温泉(蔵王温泉)と麓の集落を結ぶ道が開通したり、
学校や郵便局、駐在所、公衆電話や電灯なども整備され徐々に活気づいてきます。IMG_1330


昭和時代の蔵王

昭和に入ると
 ・夏季には蔵王登山と高湯温泉への湯治客が多くなり、
 ・冬季はスキーが普及して、
夏ばかりでなく冬季の来客も急増してきました。
戦後の好景気と観光人口の増加に伴い、
ロープウェイ・ケーブル・リフトなどの敷設や観光道路などの整備が急ピッチで行われました。

また、ホテルや民宿・ペンションなども相次いでオープンし、山形県最大規模のリゾート地として発展したのです。IMG_1331


スキー場としての蔵王温泉
蔵王におけるスキーの歴史は古く、
大正3年(1928)に山形大石田町で行われた山形県初のスキー講習会に参加した岡崎三郎氏が、
さっそく蔵王に戻り初滑りを披露したのが始まりですが、観衆の反応はイマイチでした。

当時、スキーは高級品であり、とても庶民の手が届くものではありません。
その後ナラの木で作った安価なスキーが普及し、庶民でも手に入るようになったのです。IMG_1332
当時の蔵王にはゲレンデがなく、登山道や原野を滑る、いわゆる山スキーでした。

戦後の昭和25年(1950)には、毎日新聞主催の「日本観光地百選・山岳の部」で蔵王山が第一位となり、
このとき蔵王は230万票を獲得して、2位の静岡県達磨山の96万票に大差をつけての圧倒的な首位でした。
これを祈念して、熊野岳山頂に記念標を立ててバンザイをしているのが下の写真です。IMG_1337

これを期に「高湯スキー場」から「蔵王温泉スキー場」に改め、以後全国に知られるようになりました。

高度成長期には、スキーヤーも年々増加し、それと共にロープウェイやゴンドラ、リフトといった施設も整備され、
まさしく蔵王は日本を代表するスキー場へと成長していくのです。IMG_1333

昭和54年(1979)には、東洋で初めてとなる

『第11回インタースキー』(世界24カ国参加の国際スキー指導者大会)

が蔵王で開催されたのを機に、国際級のスキー大会や講習会が開かれるようになり、
多くの外国人観光客が蔵王を訪れ、蔵王の名は世界に知られたのです。


蔵王初のスキーリフト
周辺ではスキーを楽しめましたが、まだリフトやロープウェイ・ゴンドラといった設備はありませんでした。

戦後の昭和25年(1950)毎日新聞主催の「日本観光地百選・山岳の部」で第一位を獲得したのを機に、
本格的なゲレンデ開発が進められました。

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蔵王初のリフト架設場所になったのは上の台ゲレンデです。
ここは、蔵王温泉にある高見屋旅館の先祖が植林した杉林があり、
その杉材を伐採してリフトの櫓等に利用し、その伐採跡が上の台ゲレンデとなりました。

地元住民が総出で架設作業を行い、昭和26年(1951)12月30日に蔵王初となるリフトが完成しました。
現在では、ロープウェイ4基、ゴンドラ1基、リフト37基を有する日本でもトップクラスのスキー場となっています。

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トニー・ザイラーと蔵王

冬季オリンピック史上初の三冠王に輝いたオーストリア出身のトニー・ザイラーが
松竹映画「銀嶺の王者」撮影のため1960年1月蔵王を訪れ約1カ月間滞在しました。

当時人気女優の鰐淵晴子をはじめ豪華キャストが共演する映画です。
蔵王を外国にまでPRする絶好の機会とだったので、地元の青年団も多数出演し官民一体となってロケ隊に協力しました。

映画「白銀は招くよ」でトニー・ザイラーが着用していた黒シャツと黒のアノラックは、
これ以降、スキーヤーだけではなく、冬の服装として全国的に定着してしまうほどのブームとなったのです。


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以上の写真は蔵王温泉観光協会のポスターから借用しました。(承認済みです)
蔵王温泉の最新情報は、蔵王温泉観光協会のサイトを御覧ください。

2014年10月撮影の雲海(坊平付近から北西方向を撮影)
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