中国語として発明され日本語にも定着した漢字ですが、長い歴史の中の僅かな時間で簡略化が進められてしまいました。
簡略化が推進された背景には、産業革命にによる印刷技術の影響が強くあったのです。
漢字の歴史は、それこそ中国三千年だか、四千年だかと同じ長さの長ぁい長ぁい歴史があります。
しかし、その大分部の時間は、手書きかせいぜい木版印刷(手彫り版画)だったのですかから、比較的自由に、略字や色々な異体字が使われてきたのです。
例えば、「峰」の異体字として「峯」があるように、「島」も色いろあります。
渡辺の「辺」なんか「邊」「邉」のほか、微妙な違いで無数に異体字があるらしく、市役所の人が困っているようですよ。
自分が気に入ったら、勝手に点をつけても略しても良かったのです。
ところが、グーテンベルクが発明したとされる印刷機が盛んに使われるようになり、金属製の活字が必要になってから、殆ど意味に差がない異体字のためにわざわざ別の活字を作るのは無駄だということになり、異体字の整理が急速に進められたのです。
と言うことは、3、4千年の漢字の歴史の中で、1画多いだの少ないだの、そこは離しちゃいけないだのって、めんどくさいことを言うようになったのは、最近の100年足らずのことなのです。
現代の漢字の元になっていると言われるのが、18世紀前半に編纂された「康煕字典」(こうきじてん)です。
ここに掲載された約4万字が、概ね、日本では「正字」あるいは「旧字体」、中国、台湾では「繁体字」と呼ばれる字体であり、第二次世界大戦まで漢字圏の国で共通に用いられてきました。
(「繁体字」と言う言葉は、「簡体字」の対応として戦後に中国で作られた言葉なので、台湾文字を「繁体字」と呼ぶのは、正確ではありません)
1945年:
第二次世界大戦終結後、日本と中国では、膨大な数の漢字と、画数の多い煩雑な漢字が、国民の学習を妨げているという認識の下に、
学習負担軽減と識字率向上を目指して、漢字の削減と簡略化が進められました。
この動きが、台湾、香港では起こらなかったのはなぜでしょうか?
1946年:日本
「当用漢字表」が1月16日に内閣告示されました。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)担当官の発案で、日本語は全てローマ字にしようと言う提案があったそうです。
「漢字廃止論」 wikipedia
これは、なんとか避けたのですが、使用する漢字を簡単にして、数を減らそうという動きが強まりました。
その結果、将来はローマ字になるかもしれないが、
「一般社会で使用する漢字の範囲を示すもの」
として、当面用いる漢字だけ残そうと言うことで1850字の「当用漢字」が選定されました。
この時点では、漢字を選び出す作業が主で、簡略化はあまり行なわれず、旧字体のままの文字が多かったのです。
1948年:日本
「当用漢字音訓表」告示。
「当用漢字表」には読みは示されていませんでしたが、ここで音訓を示しました。
1949年:日本
「当用漢字字体表」告示。
「当用漢字表」は簡易字体の採用が一部にとどまっていましたが、これを整理して、字体が明確に示し直されたのです。
正字(康煕字典体で示されていた文字)の多くが、「当用漢字字体表」では、簡易字体に置き換えられました。
ここで、現在日本で使われている漢字の基本形が定められたことになり、中国よりも一足早く、日本では漢字の簡略化が進められたのです。
日本人は、とても素直なので、「漢字はこれだけ覚えればよい」と内閣が発表したのだからと、他の漢字は使わなくなりました。
むしろ、使ってはいけないような気運さえあったのではないでしょうか。
1949年:中国
中華人民共和国を建国。
この直後から、毛沢東、周恩来が文字の簡略化こそ急務と提唱。
1952年:中国
文字改革委員会を組織し、簡体字表の整理作業を始めました。
1955年:中国
日本よりもだいぶ遅れて、中国文字改革委員会が「漢字簡化方案草案」を発表しました。
先行していた日本と同じ字形が結構あるのですが、簡略化の手法など限られているので、たまたま同じになったのかもしれないし、多少は参考にしたのかもしれませんね。
1956年:中国
国務院が「漢字簡化法案」を公布。
簡体字と簡化字を、教育、公文書、新聞や雑誌で使用させました。
1958年:日本
「教育漢字」選定。
「小学校の各学年で教えるべきもの」として、「小学校学習指導要領」の付録「学年別漢字配当表」に盛り込まれた漢字のことを「教育漢字」と言います。
1964年:中国
「簡化字総表」発表。
これが、現在中国で使われている簡体字の基本です。
3つの表から構成されています。
第1表:350字、偏旁に応用できない文字。「寶→宝」「燈→灯」など。
第2表:132字、偏や旁に応用できる文字(「國→国」は「掴」の旁として使う)と、
文字ではない偏旁が14個ある(言偏、糸偏などの簡略化)。
第3表:1753字、第2表の偏や旁を応用した文字。
一般に「簡体字」と呼んでいますが、厳密に言うと、字全体を簡略化した文字を「簡体字」と言い、偏や旁など一部が簡略化されたものを含めて「簡化字」と言います。
1965年:中国
「印刷通用漢字字形表」を公布して、印刷物に使用すべき字体を定めました。
1977年:中国
「第2次漢字簡化方案」を中国文字改革委員会が12月20日に発表。
これは1975年5月草案提出、1977年末から人民日報が試用開始していましたが、あまりにも簡略化しすぎたために、「読みにくい」、「見苦しい」と、国民の賛同を得られず、8年間の試行の後、1986年6月24日国務院が廃止を発表しました。
1981年:日本
「常用漢字表」10月1日に内閣告示。
「一般の社会生活における、現代国語表記上の漢字使用の目安」として、当用漢字より95字多い1945字が選ばれました。
これが、現在私達日本人が使っている漢字の基本です。
1986年:中国
「簡化字総表1986」を国家語言文字工作委員会が公布。
これが現在の最新版で、2244文字を収録。
1988年:中国
「現代漢語常用字表」を公布。この3500字は主に教育で使用されています。
1989年:中国
「印刷通用漢字字形表」に代わる「現代漢語通用字表」を公布。
この総数7000字が印刷のほか、コンピュータなど情報処理分野でも利用されています。
1989年:日本
「教育漢字」追加・改訂により、1006字になりました。
日本と中国で標準語として広く使われている、簡略化された漢字ですが、こうしてみると、僅か5~60年の歴史しかないのですね。
数千年に及ぶ漢字の歴史を、わずか数十年で大幅にいじくり倒して作った簡略な文字が、このまま、今後数百年にわたって使われ続けるのでしょうか?
一つの可能性として、国際交流がさらに進み、日中文化統合計画などをぶち上げて、日中の漢字共通化が図られるかもしれません。
この50年、100年ではありえないでしょうが、数百年の後には、世界の言語を統一しようと言うことで、漢字の使用を禁止されるかもしれませんよ。
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コメント
「國→国」この簡略化は日本の方が先だったのですね?
ー>中国の草書などですでに使われてきた字体です。日本略字は日本で開発したというより、中国及びアジアで異體字や俗體などで使われたものを整理したことです。
不思議に思っていることがあります。
「國→国」この簡略化は日本の方が先だったのですね?
どうして、中国と日本で、同じ形になったのでしょうか?
偶然? それとも仲良く相談しあった?
他にもこういう漢字はありますか?
漢字はね、実はGHQじゃなくて日本人の方が廃止したがっていたんですよ。
言語学者だと良く分かるんだけどね、「漢字を廃止しないと日本が滅ぶ」って理解できるんですよ。
詳しくは「漢字が日本語をほろぼす」という本によく書かれています。