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君が代を国歌と決めた法律
日本の国歌は『国旗及び国歌に関する法律(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)』によって『君が代』であると定められています。
その歌詞は
『君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで』
何やら小難しい言葉が並んでいて、意味がよく分かりませんね。
君が代の歌詞の意味を考えてみましょう。
君が代は和歌だった
「さざれ石の」が6文字ですが、一応、五七五七七になっていますから、これが「短歌」ではなかろうかということは、なんとなく感じますよね。
Wikipediaによると、出典は、古今和歌集に収められた和歌ではないかと書かれています。
歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)とされるが古今集のテキストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。
しかし、原本では出だしが「君が代」でなく「わが君は」だったので、現在の「君が代」の歌詞と完全に一致する和歌はないらしいです。
目次に戻る君が代の歌詞を分解してみる
短い歌詞なので、単語ごとに分解してみましょう。
目次に戻る君が代は
「君が代」の、『君』とは誰のことでしょうか。
古今和歌集の一首であることから、当時の和歌的な解釈をするならば、特定の個人を指すのではないとするのが一般的なようです。
- 目の前にいるあなた(おそらく年長者)
おじいちゃんいつまでも元気でね - ときの帝の名を借りて(世の中)
平成の世が永久に平和でありますように - 個人を特定しないで「このご時世」
このご時世いつまでも平和でありますように - キリスト教的に表現すれば(汝の世)
汝の世が永久(とわ)に平和であらんことを
などのように、個人ではなく広い意味ではないかと解釈する考え方があります。
その一方で、『君』は天皇を指し、君主制度を賞賛する歌だと解釈する人たちもいます。
戦時中の学校の教練において、日の丸を掲げて「君が代」を歌わせられたことから、戦争を助長する歌だとして「君が代」不起立運動をしています。
次項で述べる『さざれ石』の由来を考えると、天皇と決めつけるのは無理があるように思います。
どちらが正しいのか、確定した解釈はありませんから、人それぞれです。
千代に八千代に
明確な時間単位ではありませんが、とてつもなく長い年月を表します。
「千年も八千年も」とか、「一代目、二代目、三代目~八千代目まで」とか、なんとなくのイメージですが、「永遠に」とか「永久に」との解釈で良いでしょう。
目次に戻るさざれ石の
「君が代」が作られた過程で一番のポイントになるのが『さざれ石』なのです。
目次に戻る物理的に解釈すると
『さざれ石』ってなんだろうと思って検索をすると、殆どの記述が、Wikipedia にたどり着きます。
つまりこういうことです。
さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。
物質としての「さざれ石」は、Wikipediaの説明らしいのですが、君が代のさざれ石となると、やや趣が異なってきます。
目次に戻る出雲大社のさざれ石
神様の総本山と言われる出雲大社の庭に、さざれ石が展示されています。
小さな石が寄せ集まってくっついたような、こんな石です。
石の横に説明書きが表示されています。
本文は次の通りです。
この石は通稱さざれ石といわれ岐阜県春日村の産 古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈りこの石の如くましませと詠われた後に一部改作されて日本の国歌となりました
学名は石灰質角礫岩で長い年月の間に溶解した石灰石が多くの小石を集結して次第に大きく生長したもので誠に目出度い石であります。
岐阜県揖斐川町の故小林宗一(号宗閑)によって発見されました
平成11年4月吉日
どうやら、おおもとの山地は、岐阜県の春日村にあるようです。
目次に戻る春日村のさざれ石
岐阜県春日村は、平成17年(2005年)1月に近隣の6町村と合併し現在は揖斐川町になっています。
揖斐川町には、さざれ石公園があります。
さざれ石公園に行ってみると、石碑の両側にしめ縄で飾られた大きなさざれ石が2つあります。
石碑には何が書いてるのかと近づいてみると
国歌君が代発祥の地
内閣総理大臣 中曽根康弘
なんと、ときの総理大臣の名前で、『君が代発祥の地』と宣言しているのです。
これはすごいことですよね。
でも、君が代が法律で国歌となったのは平成11年(1999年)8月13日なので、中曽根総理が現職総理大臣の頃は、まだ法律にはなっていなかったのです。
近くに、説明書きの看板があります。
この立て看板を作った当時は、まだ春日村だったのですね。
これによると、
平安朝時代に文徳天皇の皇子に使えた木地師が滋賀県から椀の材料を求めて春日村に来た際に、自然に凝結して苔むして巨大な巌(いわお)になっている珍しい石を発見して、ありのままに
「わが君は、千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
と詠んだそうです。
古今和歌集に取り上げられましたが、木地師は身分が低かったので、「詠み人知らず」にされてしまいました。
後年、この実績が認められて、石に関連した石位左衛門の名をいただいたそうです。
『さざれ石』は、一般の「細(さざれ)石」ではなく、岐阜県春日村の特定の石を指すのだというのが、一般の解釈になっています。
そんなおめでたい石なので、皇居や明治神宮をはじめ、前出の出雲大社、伊勢神宮の内宮・外宮ほか、たくさんの神社に分けられています。
驚いたのは、池田勇人元首相と吉田茂元首相が1トンの石をもらっていることです。
どうするんでしょう。
ま、庭石しか使いようがないでしょうね。
あるいは、地元の神社に寄付したかもしれませんね。
さざれ石と題して、こんな石を販売している会社もあります。
さざれ石 青森産 |
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いわおとなりて
これは誤解の余地はありませんね。
前項の『さざれ石』が長い年月をかけて凝結して、大きな巌(いわお)になるまでの長い期間と言う意味です。
目次に戻る苔のむすまで
これも、いわおとなりてと同様、成長が遅い苔が大きな巌を覆い尽くすほどの長い期間を意味しています。
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君が代の歌詞の意味は
よくよく読んでみると君が代の歌詞の意味は
「この平和な世の中がずっと続きますように」
と解釈するのが一番ふさわしいようです。
男女が何年もの年をすごし、石が大きな岩になりそれに苔がつくまで添い遂げよとも書いてあった書物もありました。
意味を知ると短い中にも深い意味がある君が代でした。
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