サッカー日本代表の国際成績とサッカー代表選手と歴代代表監督

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日本のサッカーはドーハの悲劇以降、その反省を踏まえて進歩して、国際的にも存在感を増してきました。
第16回フランス大会からは、6大会連続でワールドカップ出場を達成しています。
先日のロシアワールドカップでは、3回目の決勝トーナメント進出を果たしました。

サッカー日本代表の歴代ワールドカップ成績

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日本代表の初参加は1954年スイス大会

サッカーの日本代表が、初めてワールドカップの予選に参加したのは、1954年の第5回スイス大会です。

1954年といえば、昭和29年のこと。
太平洋戦争の敗戦から9年目のことで、吉田内閣が総辞職するど戦後処理から国内の経済の立て直しに向かうころのことでした。

あえなく予選敗退で、翌円は不参加だたことから、国内のサッカー態勢が、国際大会に出場するには十分とはいえなかたようです。

その後、2回参加と不参加を繰り返して、安定して毎回出場を始めたのは、1970年(昭和45年)のメキシコタイからです。

第9回のメキシコ大会からは、毎回参加したのですが、出ると負けのチームでした。

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本当に惜しかったドーハの悲劇は1993年のこと

出ると負けの日本チームでしたが、1992年に、はじめての外国人代表監督として、オランダのハンス・オフト監督を迎えて、本戦出場を果たせるかと、日本中の期待を背負って惜しくも破れたのが、『ドーハの悲劇』でした。

結成されて間もないJリーグの精鋭を参加させて、はじめての本戦出場かと本気で期待していました。

キングカズこと三浦知良、ゴン中山の中山雅史、ラモス瑠偉、森保一(2018年から代表監督)、柱谷哲二、GP松永など、日本中が、今度こそ本戦出場だとの期待を込めて送り出しました。

悲劇は、ドーハでの予選最終戦のロスタイムでのことでした。
今では、ロスタイムとは言わず、アディショナル・タイムといますが、正式な時間が経過したあとのこと。

このまま数分間守りきれば本戦出場となるはずだったのが、イラクの同点ゴールが入って、日本の道はまたも閉ざされてしまったのでした。

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本戦初参加『ジョホールバルの歓喜』は1997年

しかし、プロリーグ設立で力をつけた日本代表は、岡ちゃんこと岡田武史監督のもと、『ドーハの悲劇』を上回る出来事『ジョホールバルの歓喜』でワールドカップ本戦への初きっぷを手に入れたのです。

この第16回フランス大会では、本戦出場で舞い上がったのか実力なのか、本戦ではグループリーグ全敗の最下位で終わりました。

その後は、地元開催の日韓大会でベスト16進出を果たし、本戦出場は常連化して、決勝トーナメントでも勝ち上がることができるようになりました。

やがて、ベスト4、決勝進出、優勝へと道が続くことでしょう。

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日本代表サッカーワールドカップの年表

第1回ウルグアイ(1930年:日本不参加)
第2回イタリア(1934年:日本不参加)
第3回フランス(1938年:日本不参加)
.  戦争で2回中止(1942年,1946年)
第4回ブラジル(1950年:日本不参加)
第5回スイス(1954年:日本予選敗退)
第6回スウェーデン(1958年:日本不参加)
第7回チリ(1962年:日本予選敗退)
第8回イングランド(1966年:日本不参加)
第9回メキシコ(1970年:日本予選敗退)
第10回西ドイツ(1974年:日本予選敗退)
第11回アルゼンチン(1978年:日本予選敗退)
第12回スペイン(1982年:日本予選敗退)
第13回メキシコ(1986年:日本予選敗退)
第14回イタリア(1990年:日本予選敗退)
第15回アメリカ(1994年:ドーハの悲劇
第16回フランス(1998年:日本グループリーグ
第17回日本・韓国(2002年:日本ベスト16
第18回ドイツ(2006年:日本グループリーグ

GK:土肥洋一(F東京)、川口能活(磐田)、楢崎正剛(名古屋)
DF:田中誠(磐田)、宮本恒靖(G大阪)、三都主アレサンドロ(浦和)、中澤佑ニ(横浜M)、坪井慶介(浦和)、加地亮(G大阪)、駒野友一(広島)、中田浩二(バーゼル)
MF:福西崇史(磐田)、中田英寿(ボルトン)、中村俊輔(セルティック)、稲本潤一(WBA)、小野伸二(浦和)、小笠原満男(鹿島)、遠藤保仁(G大阪)
FW:高原直泰(HSV)、玉田圭司(名古屋)、柳沢敦(鹿島)、大黒将志(グルノーブル)、巻誠一郎(千葉)

第19回南アフリカ(2010年:日本ベスト16

GK:楢崎正剛(名古屋)、川島永嗣(川崎F)、川口能活(磐田)
DF:駒野友一(磐田)、田中マルクス闘莉王(名古屋)、長友佑都(F東京)、内田篤人(鹿島)、岩政大樹(鹿島)、今野泰幸(F東京)、中澤佑二(横浜FM)
MF:阿部勇樹(浦和)、遠藤保仁(G大阪)、松井大輔(グルノーブル)、中村俊輔(横浜FM)、中村憲剛(川崎F)、長谷部誠(ボルフスブルク)、本田圭佑(CSKAモスクワ)、稲本潤一(川崎F)
FW:岡崎慎司(清水)、玉田圭司(名古屋)、矢野貴章(新潟)、大久保嘉人(神戸)、森本貴幸(カターニア)

第20回ブラジル(2014年:日本グループリーグ

GK:川島永嗣(スタンダール・リエージュ)、 西川周作(浦和)、権田修一(F東京)
DF:内田篤人(シャルケ)、酒井高徳(シュツットガルト)、長友佑都(インテル)、森重真人(F東京)、今野泰幸(G大阪)
伊野波雅彦(磐田)、酒井宏樹(ハノーファー)、吉田麻也(サウサンプトン)
MF:遠藤保仁(G大阪)、青山敏弘(広島)、山口蛍(C大阪)、長谷部誠(ニュルンベルク)
FW:本田圭佑(ミラン)、清武弘嗣(ニュルンベルク)、岡崎慎司(マインツ)、香川真司(マンチェスターU)、柿谷曜一朗(C大阪)、大久保嘉人(川崎F)、大迫勇也(1860ミュンヘン)、齋藤学(横浜FM)

第21回ロシア(2018年:日本出場ベスト16

GK:川島永嗣(メッス)、東口順昭(G大阪)、中村航輔(柏レイソル)
DF:長友佑都(ガラタサライ)、槙野智章(浦和)、吉田麻也(サウサンプトン)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(ハンブルガーSV)、昌子源(鹿島)、遠藤航(浦和)、植田直通(鹿島)
MF:長谷部誠(Eフランクフルト)、本田圭佑(パチューカ)、乾貴士(ベティス)、香川真司(ドルトムント)、山口蛍(C大阪)、原口元気(デュッセルドルフ)、宇佐美貴史(デュッセルドルフ)、柴崎岳(ヘタフェ)、大島僚太(川崎F)
FW:岡崎慎司(レスター)、大迫勇也(ブレーメン)、武藤嘉紀(マインツ)

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サッカーアジアカップでの日本代表の成績

4年毎に開催されるワールドカップの間に4年毎に開催されるのがサッカーアジアカップです。

サッカー日本代表が、アジアカップで目覚ましい活躍するのは、1991年にJリークが発足してからでした。

Jリーグ結成の翌年の1992年日本大会を優勝で飾ると、次回UAE大会はベスト8止まりでしたが、翌レバノン大会、翌々中国大会では連続して優勝を飾っています。

その後も、常に上位で健闘しており、完全にアジアの競合の地位を保っています。

第1回香港(1956年:日本不参加)
第2回韓国(1960年:日本不参加)
第3回イスラエル(1964年:日本不参加)
第4回イラン(1968年:日本予選敗退)
第5回タイ(1972年:日本参加)
第6回イラン(1976年:日本予選敗退)
第7回クェート(1980年:日本不参加)
第8回シンガポール(1984年:日本不参加)
第9回カタール(1988年:日本グループリーグ)
第10回日本(1992年:日本優勝)
第11回UAE(1996年:日本ベスト8)
第12回レバノン(2000年:日本優勝)
第13回中国(2004年:日本優勝)
第14回東南アジア(2007年:日本4位)
.  インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムの共催
第15回カタール(2011年:日本優勝)

GK:川島永嗣(リールス)、西川周作(広島)、権田修一(F東京)
DF:岩政大樹(鹿島)、今野泰幸(F東京)、伊野波雅彦(鹿島)、長友佑都(チェゼーナ)、槙野智章(広島)、内田篤人(シャルケ04)、吉田麻也(VVV)、酒井高徳(新潟)
MF:遠藤保仁(G大阪)、松井大輔(トム・トムスク)、長谷部誠(ボルフスブルク)、藤本淳吾(清水)、本田拓也(清水)
細貝萌(浦和→レバークーゼン)、本田圭佑(CSKAモスクワ)、柏木陽介(浦和)、香川真司(ドルトムント)
FW:前田遼一(磐田)、李忠成(広島)、岡崎慎司(清水)

第16回オーストラリア(2015年:日本ベスト8

GK:川島永嗣(スタンダール・リエージュ)、西川周作(浦和)、東口順昭(G大阪)
DF:植田直通(鹿島)、太田宏介(F東京)、長友佑都(インテル)、森重真人(F東京)、塩谷司(広島)、昌子源(鹿島)、酒井高徳(シュツットガルト)、吉田麻也(サウサンプトン)
MF:遠藤保仁(G大阪)、清武弘嗣(ハノーファー)、香川真司(ドルトムント)、今野泰幸(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト)、柴崎岳(鹿島)
FW:本田圭佑(ミラン)、岡崎慎司(マインツ)、豊田陽平(鳥栖)、小林悠(川崎F)、武藤嘉紀(F東京)、乾貴士(フランクフルト)

第17回UAE(2019年:日本どうなる)

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サッカー日本代表の歴代監督

日本サッカーの歴代代表監督は、1992年のハンス・オフト監督から始まって、2018年の森保一監督まで13人います。

素晴らしい業績を残した監督もいれば、ほとんど実績を残さず八百長疑惑で解任されたアギーレ監督や、チーム内部不和が噂されてワールドカップ直前に解任された、ハリルホジッチ監督など、いろいろいました。

13人の監督の簡単な略歴を振り返ってみましょう。
あぁ、こんな人がいたなぁ、と懐かしく思い出すことでしょう。

1992年5月 – 1993年10月

ハンス・オフト(オランダ)
プロのJリーグ発足後、最初の代表監督。
1992年のアジアカップ、1993年の東アジア選手権でタイトルを獲得するなど好成績を収めたが、1994年W杯予選の『ドーハの悲劇』で予選敗退となり解任された。

1994年5月 – 1994年10月

パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)
前任のオフト監督の欧州路線とは違う南米路線の監督を、ということで選ばれ、小倉隆史や前園真聖ら多くの若手選手を代表に抜擢した。
しかしアジア大会で成績が期待値に届かず短期間で解任された。

1995年1月 – 1997年10月

加茂周(日本)
外国人監督が2人続き、やはり日本人監督だよね、ということで最も実績のある日本人監督として選ばれた。
当時最先端であったゾーンプレスを採用。
個ではなく組織で戦うようになったのは加茂監督以降だという意見もある。
フランスW杯予選の成績不振でカザフスタンの現地で更迭された。

1997年10月 – 1998年6月

岡田武史(日本)
加茂監督の更迭をうけ、ヘッドコーチから昇格。
代表から外されていたゴン中山雅史らをチームに再招集し、日本代表初のW杯本戦出場(ジョホールバルの歓喜)を果たした。
岡ちゃんの愛称で親しまれたが、本大会では3戦全敗でグループリーグ敗退し退任。

1998年10月 – 2002年6月

フィリップ・トルシエ(フランス)
5年ぶりで3人目の外国人監督。
名古屋グランパスの監督であったアーセン・ベンゲルの推薦で、フランス、アフリカでの実績を買われた。
1999年ワールド・ユース選手権で準優勝、2000年アジア・カップ優勝、2001年コンフェデレーションカップ準優勝。
W杯本大会にて、日本代表初のグループリーグ突破。ベスト16進出と好成績を残した。

2002年7月 – 2006年6月

ジーコ(ブラジル)
2004年AFCアジアカップ優勝、2006年ドイツワールドカップ本戦出場。
川淵会長の意向で就任。
アジアカップ優勝し、ワールドカップ出場を果たしたが、本大会では2敗1分のグループリーグ最下位で敗退だった。

2006年8月 – 2007年11月

イビチャ・オシム(ユーゴスラビア)
ユーゴスラビア代表監督の経験、ジェフ千葉の監督としてチームでの手腕を買われ、Jリーグの監督をシーズン中に引き抜くという異例の形での就任。
アジアカップはベスト4に終わった。
2007年11月、自宅で脳梗塞で倒れ一時危篤状態に陥ったが一命を取り留め意識も回復したが、退任せざるをえなかった。

2008年1月 – 2010年6月

岡田武史(日本)
オシム監督の退任後、二度目の監督就任。
2010年南アフリカ大会ではグループリーグを2勝1敗で勝ち抜け、ワールドカップで初めて決勝トーナメントに進出した。
パラグアイにPKで敗れてベスト16に終わり、大会終了後に退任。

2010年10月 – 2014年6月

アルベルト・ザッケローニ(イタリア)
ACミラン、インテル、ユヴェントスなど世界的名門クラブでの監督経験を買われ、日本代表監督に就任。
アジアカップ優勝、16試合連続無敗記録、コンフェデレーションズカップの善戦などから、ワールドカップ大会が期待されたが、1分け2敗の勝ち点1でグループリーグ敗退した。

2014年8月 – 2015年2月

ハビエル・アギーレ(メキシコ)
メキシコ代表監督として、2002年W杯ベスト16・2010年W杯ベスト16。
クラブ監督として、アトレティコ・マドリード、エスパニョール等スペインの名門クラブで指揮した実績を踏まえて就任した。
しかし、リーガ時代における八百長疑惑が浮上し短期間での契約解除。

2015年3月 – 2018年4月

ヴァヒド・ハリルホジッチ(ユーゴスラビア)
2014年W杯においてアルジェリア代表をベスト16に進出させ、優勝したドイツを最も苦しめたチームとして、日本代表監督に就任。
日本サッカーの問題点は攻撃のスピード不足であるとして、ボールを前線へダイレクトに送る『縦に早いサッカー』を目指したが、チーム内の不協和音が聞こえてきた。
「選手からの信頼感が薄れた」として解任された。

2018年4月 – 7月

西野 朗(日本)
ハリルホジッチ監督の解任後、JFA技術委員長を務めていたが突然代表監督に就任。
就任してからわずか3試合でW杯本大会という状況の中、ベテラン勢を多く招集してW杯へ挑んだ。
本大会では、決勝トーナメント進出を果たしたが、その作戦として消極的なパス回しで賛否の議論を呼んだ。

2018年7月 –

森保一(日本)
トルシエ以来の、A代表監督・オリンピック代表監督の兼任となる。
監督経験は、サンフレッチェ広島とU-23日本代表のみ。

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サッカーボール

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サッカーボールの直径は何センチでしょうか?

意外なことにサッカーボールの直径の決まりはありません。
というと、デタラメみたいですが、実は直径ではなく外周の決まりがあるのです。

外周は、68~70cmと決められています。
計算すると21.6~22.2cmになりますから、直径22cmと覚えておけばいいです。

ちなみに、重さは410~450グラムです。

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手縫いのサッカーボールの生産量が一番多い国はどこでしょう

サッカーボールの生産量が最も多い国は、パキスタンで、世界の生産量の70%以上を占めています。
その理由は、イギリスの植民地だったからなのですが、同じくイギリスの植民地だったインドではなくなぜパキスタンなのか。

サッカーボールの原材料になる牛が、インドでは神の動物とされていたので、牛革を使った革製品の加工に宗教上の問題があったからです。


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